日本赤十字社北海道支部は、北海道札幌市を拠点に献血・ボランティア・義援金・講習などの活動を実施日本赤十字社北海道支部は、北海道札幌市を拠点に献血・ボランティア・義援金・講習などの活動を実施しています。

高松凌雲 ~北海道にゆかりのある赤十字人~

高松凌雲 天保7年12月25日(1837年1月31日生まれ)、大正5年10月12日没。幕末から明治期の医師。現在の福岡県小郡市出身。箱館戦争において函館病院を開院。その後、民間救護団体の前身と言われる同愛社を創設。日本における赤十字運動の先駆者とされる。

 1868年(明治元年)、明治新政府に対抗するため、旧幕府海軍副総裁だった榎本武揚が軍艦8隻を率いて箱館を占拠したことから、箱館戦争が発生しました。高松は、旧幕府側の箱館病院の頭取医師取締(いわゆる病院長)としてこれに加わり、手狭になったために二階建ての病院2棟を新築し、9名の医者と2名の係員の中心となって救護活動に携わりました。

 ここで、高松は、日本の歴史で初めてとなる人道的な活動を展開しました。彼は、榎本軍の負傷者だけでなく、対立する官軍の負傷兵も入院させて治療し、実に6名を回復後に故郷へ送り返しています。また、病院に乱入してきた官軍兵士を前にして、「自分は医者だ。敵対するものではない。ここにいる負傷者は今は病床にある。どうか助けてほしい」と訴えたのです。身を挺して負傷者を守った態度は官軍にも高く評価されました。

 これは、後に高松が書物に『是予が欧州を巡覧して得たる賜物なり』と書いているように、1867年(慶応3年)、幕府から欧州視察に派遣された時に、パリ万博を見学して、当時誕生して間もない各国の赤十字社が、負傷して戦闘力のない者は敵味方の区別なく互いに治療するという活動を目の当たりにしたことが大きく影響していたのです。

 箱館戦争で高松が治療した傷病者数は1,340名にのぼり、その後1877年(明治10年)博愛社が西南の役で取り扱った傷病者数1,429名に匹敵する数となっています。

 まさに、函館は日本における最初の「赤十字思想の実践の地」と言えるでしょう。